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村の文化財

記事ID:0001182 更新日:2013年8月1日更新 印刷ページ表示

村指定文化財

十一面観音像(じゅういちめんかんのんぞう)【大泉、勝光寺】有形文化財

平安前期天台宗の高僧慈覚大師(794~864)の作と伝えられ、村内では最も古いものであると考えられる。正全寺・仲仙寺の観音像と一木三体で、大泉の尊像が最初の元材で作られたので姉像であったという。大泉上総も崇拝していたと伝えられる。

大和泉神社本殿・瘡守稲荷社本殿(おいずみじんじゃほんでん・かさもりいなりしゃほんでん)【大泉】有形文化財

大和泉神社本殿は焼失により文政12年(1839)に再建されたもの。立川流宮大工小口直四郎の作で、芸術性高い彫刻がみごとである。

瘡守稲荷社本殿は、唐破風に千鳥破風の正規の組物がなされ、手のこんだ社殿である。

不動明王三体(ふどうみょうおうさんたい)【沢尻、恩徳寺】有形文化財

本尊の不動明王は旧領主太田資智の発願により、成田山新勝寺行場不動尊を勧請したものである。江戸中期の仏師不動金兵衛の作である。他の二体は明治35年、伊那市西春近上島法性院の本尊と本村神子柴金剛院から法性院に移されたものを勧請したものである。

作者不明であるが、いずれも迫力あるできばえである。

十二神将(じゅうにしんしょう)【神子柴、薬師堂】有形文化財

十二神将は薬師如来の眷属で薬師如来を敬う者の苦難を除き守る神である。この十二神将は十二支を頭にいただいており、力動感がある。残念ながら一体は失われている。台の裏に、「文化拾三子九月吉日木曽宮越住加藤喜置作之」と印されている。

新四国霊場(しんしこくれいじょう)(お四国様)【北殿、松林寺裏】史跡

北殿の有賀嘉吉が、四国八十八か所の霊場参拝が誰でもできるようにと、四国の各札所の本尊を安置したもの。石工は大泉の原此右衛門で、台座の下には嘉吉が各札所から持ち帰った土が入っているという。約10年がかりで嘉永元年(1848)完成した。

三十三観音(さんじゅうさんかんのん)【南殿、農協倉庫北側】有形文化財

作者・年代は不明であるが、西国三十三番札所の諸仏を模し並べたもののようである。三十三番まできちんとそろい、できばえもすばらしい石仏である。明治6年「地蔵庵」が廃庵になったとき、寄進者の「大国屋」に返されこの地に安置された。

富士塚(ふじづか)【田畑、南箕輪老人ホ-ム南】史跡

富士信仰は古くからあるが、江戸初期に富士講が生まれ、富士の山霊を祀る浅間信仰と富士登山が次第に盛んとなり、各地方では模造の富士山を築いて登山崇敬の気を味わうようになった。これを富士塚と呼び、村内にただ一つ残ったのがこれである。田畑ほか4か村によって元文5年(1740)に築かれた。

御射山社(みさやましゃ)【神子柴】史跡

現在の御射山社は前宮か鳥居のあったところといわれ、文政10年(1827)に建てられた石碑と鳥居の礎石と思われるものが残っている。

碑陰によると神社のはじまりは大同4年(809)とあり、古い歴史を持つ。また、その規模もかなりの広さがあったようで、近くに鳥居原・前宮・前宮原などの地字名が残っている。

大般若経六百巻(だいはんにゃきょうろっぴゃっかん)【塩ノ井、西光寺】有形文化財

明治30年(1897)南箕輪村、中箕輪村、手良村の人々から奉納されたもので、木版刷りである。大般若経は大般若波羅密多経の略、玄奘の漢訳 600巻、般若波羅の義を説く諸経典を集成したものである。きちんと 600巻そろっており貴重なものである。

大宗館文庫(たいそうかんぶんこ)【村郷土館収蔵】有形文化財

当文庫は、近世年寄株として代々村の重要な地位にあった南殿の有賀家に残された文書等を内容とし、江戸初期から明治にかけての古文書1,700余点、和書800余冊、当時の文人墨客や著名人の書画や浮世絵等を多く蔵し、島崎藤村の「夜明け前」の関係資料もあり、貴重な文庫である。

殿村八幡宮朱印状(とのむらはちまんぐうしゅいんじょう)【南殿】【南殿北殿氏神】有形文化財

朱印状というのは将軍の朱印を押した文書で、これにより所有権の認められた土地は幕府の保護を受けた。殿村八幡宮は慶安2年(1649)から万延元年(1860)までの間、9通受けている。普通は慶応4年(1868)に新政府にすべて差し出したはずでどこにも写しだけしかないのだが、この9通はすべて本物である。

エドヒガン桜【北殿、小学校北】天然記念物

高さ17m、幹囲6.5m、樹齢約250年と推定される。旧伊那街道筋にあり、根元の所に7基の庚申塔がある。その中の元文5年(1740)銘のものが建てられた際に記念植樹されたものと伝えられている。淡白紅色の花を傘状に咲かせ、開花期には実にみごとである。

恩徳寺大銀杏(おんとくじおおいちょう)【沢尻】天然記念物

推定樹齢360年、幹囲3.5m、高さ20m、地上3mほどで四方に枝分れし茸状になっており、秋の黄葉は実にみごとである。言い伝えによると、恩徳寺の前身薬師堂のとき、境内の大銀杏を切り本尊薬師如来を刻んだといわれ、その切り株に生えたのが現在のものであるという。

コウヤマキ【南殿 清水英樹氏宅 】天然記念物

高さ約25m、幹囲5.3mで、幹全体にねじれが生じているほか、地上1m程の高さのところにコブ状の突起物がある。推定樹齢はおよそ700年で、村内の樹木の中では古木の部類に属する。

殿村八幡宮社叢(とのむらはちまんぐうしゃそう)【南殿】【南殿北殿氏神】記念物

樹齢数百年をこえる檜・杉・松の常緑樹林である。特に境内参道は、目通り3m余の太さの杉・檜・松等の大樹が両側に並びそびえ、森厳の風に満ちている。社殿南の大杉・東の檜は神木とされている。

鹿踊り【大泉】無形文化財

箕輪郷の惣社南宮大明神へ隔年に鹿を奉納する鹿祭りは、永禄元年(1558)ひでりで苦しんでいた住民の切実な雨ごい祭りから始まったという。今も大和泉神社に勢ぞろいしたお鹿が、昔からの方式に従って鹿踊りを奉納し、更に唐松公園でも行い、南宮神社へ出向く。

民謡 御嶽山【大泉、御嶽山保存会】無形文化財

民謡御嶽山は元禄9年(1696)に伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛峠が整備されてから広く伝播したといわれている。
明治41年(1908)に「御嶽山」から「伊那節」に改称されたが、大泉では名を変えることなく今日まで伝承されている。

火葬蔵骨器(かそうぞうこつき)【南殿、宮の上遺跡出土】【村郷土館展示】有形文化財

平安時代中期に骨壺として使われたものである。器高25cm、最大胴径27.9cmの高台付の灰釉陶器短頸壺で東濃産とみられる。器面にはロクロによる整形痕を残し、口縁部から胴中央部にかけて灰釉が施されている。破損箇所のない完形品である。

遺跡からの出土品

神子柴型尖頭器・神子柴型石斧(みこしばがたせんとうき・みこしばがたせきふ)【神子柴、神子柴遺跡出土】

昭和63年6月6日、国の重要文化財に指定され、学術上の基準となる貴重な遺物である。段丘上ロ-ム層(標高730m)から昭和33~34年に発掘された。
旧石器時代末期のものである。
(伊那市創造館保管展示、林茂樹氏所有)

縄文深鉢型土器・香炉型土器(じょうもんふかばちがたどき・こうろがたどき)【大泉、高根地区出土】

深鉢型土器=口縁部左右に縦の環状把手をつけ、胴部は立体的な隆起線文で飾ってある縄文中期のもの
香炉型土器=口縁部両側を高くせり上げて飾りとし、全体として洗練された感じを受ける縄文最盛期の立派な小型土器である。
(村郷土館展示)

須恵器高坏(すえきたかつき)【塩ノ井、天伯遺跡出土】

坏の口径19.6cm、高さ8.4cmを測り、器面には自然釉が部分的に吹き出している。高坏は古墳の副葬品として出土することが多いが、ここでは高坏の坏部が住居址から出土しており注目される。
(村郷土館展示)

直刀(ちょくとう)【久保、丸山古墳出土】

文久2年(1862)、周囲約108m、高さ6m余の丸山古墳を掘崩し開拓した際に塚の中央から出土したものである。鉄製品で武器として用いられたと思われる。いっしょに滑石製のみごとな子持勾玉も出土している。
(倉田友雄氏蔵)

須恵大形甕(すえおおがたかめ)(壺型土器)【塩ノ井、天伯遺跡出土】

口径21.2cm、高さ46.7cm、胴径約48.6cmの大形甕である。ろくろを用い、登窯によって高温で焼かれたもので、口縁部内外と胴部の張っている部分に緑色の自然釉がでている優品である。
(村郷土館展示)

有孔扁円筒形土製品(ゆうこうへんえんとういどせいひん)【北殿、北垣外遺跡出土】

古墳時代に用いられた祭器の一種でカマドの神を祀るためのものと見られている。
全長47.5cm、円筒の長径13cm、器厚11cmで、表面に径7cmの穴が直列する形で4つあけられている。全国的にみても同種類の出土例は稀である。
(有賀満氏蔵)

田舟(たぶね)【塩ノ井、箕輪遺跡出土】

塩ノ井中田の水田下80cm下から出土した。一木づくりで舟先に鋸の痕が見られる。
ほかに田下駄、木杭、加工木製品などが出土している。
(村郷土館展示)

久保上ノ平遺跡(くぼうえのたいらいせき)

遺跡は久保の大神宮北側に位置し、東に仙丈ヶ岳が一望できる大変景観の良いところにある。
平成7年に実施した発掘調査により、この遺跡は縄文時代中期・弥生時代後期・奈良平安時代の3時期にわたる複合遺跡であることが明らかとなった。

特に縄文時代中期の遺構・遺物にはみるべきものが多く、住居跡のほかに祭祀に関わると思われる土器を並べた特殊な遺構や、豪華な文様が施された台付浅鉢型土器、人の手が写実的に表現された土器の破片、人体を表す文様の付けられた有孔鍔付土器など、装飾性豊かで特異な表現がされた土器が出土している。