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上伊那の史跡を訪ねて!(文化財)

記事ID:0003539 更新日:2014年7月2日更新 印刷ページ表示

第2回目 ふるさと再発見講座  ~ 辰野町・箕輪町の史跡巡り ~

文化財専門委員会では、村民の皆さんに村の歴史や文化財を知っていただくため、公民館講座や出前講座に参加させていただいています。
6月29日(日曜日)に行われた「第2回ふるさと再発見講座」に参加させていただきました。
今回は辰野町と箕輪町の史跡を巡り、上伊那の歴史を学びました。

伊那街道(箕輪町) 

標柱

石造
昔は、標柱を見て目的地を目指したそうです。(右:東京 諏訪道 南:名古屋 飯田道 北:松本 と表記)
どの場所で川を渡ることや峠を越えることなどを重要視したそうです。

めがね橋(辰野町)

めがね橋めがね橋の沢
文化庁の登録有形文化財に明治の近代文化財として指定されています。
初期の伊那電鉄がおよそ15年間、橋を渡河していました。その後は国道として利用され、現在も町道として使われています。
初期の伊那電送が崖下や傾斜地に電車を通していたのは、農地を潰すことができなかったからだと伝えられています。

 小野宿問屋(辰野町)

旧小野家大名の玄関小野地区の伊那街道
小野宿は伊那街道の宿場として栄え、今も旧家が建ち並んでしました。
伊那街道は、中山道塩尻宿から分岐し南箕輪村を得て岡崎に至る道でした。小野宿では、参勤交代制度で江戸を目指す大名が宿泊したとのことです。
村内にも大泉宿や北殿宿がありますが、どのように栄えたのでしょうか。(村誌を読む会で、詳しく学べます。)

 弥彦神社と小野神社(辰野町)

弥彦神社

社叢

小野神社
信濃国二之宮であり、上伊那郡54か村の総鎮守であります。
木曽義仲が宮材を木曽山林から伐り出し社殿を造営し、以後700年にわたって宮材をを木曽山林から出材されることになりました。
以来、鎌倉から徳川時代に至るまで、武田信玄、勝頼をはじめ、徳川時代の崇高厚く、再三社殿を造営されました。
また、社叢は長野県天然記念物に指定されており、古い時代の平地林の様子を見ることができます。

 初期の中山道と一里塚(辰野町)

標柱一里塚中山道跡
初期の中山道は、徳川家康の命をうけた大久保長安が整備したといわれています。
中山道の本道として、数十年間は利用されましたが、難所が多いため、長安が没するとまもなく塩尻峠廻りの道筋に変更されました。
一里塚も保存されており、旧街道跡を歩くこともできます。
中山道は、大名や公家衆の往来が頻繁なため、一般庶民は伊那街道を利用しました。(村誌を読む会で、詳しく学べます。)

上ノ平城跡(箕輪町)

上ノ平城景色上ノ平城跡上ノ平城跡2
平安時代末に源為公により築城されたと伝えられいます。
戦国時代の遺構や遺物が確認され、城としての機能もされていたことが明らかになっています。
景色が綺麗で箕輪町を一望できます。村内にも城跡があり、福与城主藤沢氏と密接な関係があります。(村誌を読む会で、詳しく学べます。)

私たちの周りには、まだ多くの史跡や文化財が残っています。
もう一度、歴史を学ぶことや調べたり考えたりすることにより、新たな道理や知識を学ぶことができるものです。自然、古文、歴史、地質学の先生もいるため、どんなことでも教えてくれます。
興味のある方は、是非ご参加ください。

 村誌を読む会

村文化財専門委員会では、村誌を読む会を発足させました。
月2回をめどに毎週日曜日の午後2時から開講しています。
5月の会では、元信州大学教授の中堀先生から上伊那の地質学について学びました。
身近なことを学ぶことができ、好評です。参加を希望する方はご連絡ください。