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「お四国さま」のあとがき

記事ID:0012230 更新日:2013年8月1日更新 印刷ページ表示

お四国さまお四国さま

あとがき

嘉吉が心の底から深く尊敬した弘法大師空海は、平安時代前期(774~830)に大日如来の数えを広めるため、真言宗をはじめた人で、書家・詩人としても名高く、川や水路の工事もされたりなどして、人々からは父母のように、恋い慕われていたと伝えられています。

その大師が、りっぱな増になるため、苦しい努力をされながら学んだといわれる場所が四国に八十八か所あります。この大師ゆかりの地(霊場)八十八か所をお参りして歩くことを「遍路」と言います。

白一色の衣服を身に着け、大師といつも二人で歩いているという気持ちで、お遍路さんは「同行二人」と書いた杖を持ち、宿に着くとまず杖を洗い、床の間にまつっては、2か月近くもかかる遍路を続けたとのことです。

遍路が最も盛んであったのは、江戸時代後期の文化・文政年間(1804~1830)で、嘉吉の10代終わりころから40歳ころと思われます。当時、江戸や京都御室(仁和寺のあたり)、小豆島などでは、四国八十八か所の霊場を手本にして、気軽にお参りできる小さい霊場が造られたという記録もあります。

嘉吉にとって、そういうことも、新四国霊場を造るきっかけとなったのかもしれません。

嘉吉の俳句「盆の月...」は、松林寺に保存されているものであり、慰霊碑に刻まれている「瓢箪と...」の俳句のほか、南箕輪小・中学校委員会でまとめた「お四国さまの話」の中には、「うかとして遂暮らしけり喜の祝」というのが、嘉吉の句として紹介されています。

なお、嘉吉の俳句をはじめとして、嘉吉に関する資料「新四国勧進帳」「旅行日記全」「法照庵句集」などが大宗館(南殿)に保存されており、研究の深められることを願うとともに、石工、原此右衛門の業績等についても新資料の出現を願い、さらに人物像や史実が、確かに豊かに語り継がれていくことを心から期待しております。

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