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保育園 管理栄養士

記事ID:0008404 更新日:2016年9月27日更新 印刷ページ表示

上島美紀

1976年生まれ 伊那市出身 箕輪町在住
3人のお子さんを育てながら、「食べることは、身体の中から健康になること」をモットーに園児の為に日々奮闘している。

仕事内容

献立離乳食、幼児食、食物アレルギーのある子どもの食事を考えます。

給食、栄養管理 
  ・・・献立作成、栄養価計算、食材の発注、調理補助(離乳食、食物アレルギー等に対応した献立を作成します。)
 ・・・保育園を巡回して給食室の衛生、安全管理に努め、子どもたちの食べ方の様子を見ます。給食の時間には食に興味を持てるようお話をします。入園前の保護者の食事の不安を軽減するために面談も行っています。
 ・・・保育園の行事に参加し、食育につながる声かけ等をします。
 ・・・食品の放射線量の測定を定期的に行い、お便りに載せます。
 ・・・食に関する保護者の方からのご相談に応じています。

献立を考える際工夫する点は、連休明けで、ちょっと泣けてしまう子がでるかもというときは人気献立をもってきます。また季節の行事に合わせたメニューも心がけています。食材はなるべく地域でとれた食材で旬のものを使うようにしています。
保育園給食は、生産者や納品業者の方々、調理員や保育士の皆さんのご協力があってはじめて「安心」で「美味しい」給食が提供できています。

仕事のやりがい

上島さん
保育室に入っていくと子どもたちが「栄養士さんだ!今日も給食おいしいよ!」「給食大好き!」「おかわりしたよ!」と言ってくれます。私のことも覚えてくれて、名前で呼んでくれたり、「給食の先生だ!」と言ってくれる子どももいます。
リクエストメニューもたくさん出てきます。パフェ!チョコ!と言ったように給食で出すのが難しい食べものもいっぱいでてきます(笑)
「食べたいもの」があるって幸せですよね。食事の時間は雰囲気作りも大切だと思います。「食べることが大好き」な子どもになってほしいです。

家庭での経験が興味に

上島さん
とにかく小さい頃から食べることが大好きで、食に興味がありました。実家が兼業農家だったので、農作物を作る祖父母や休日に手伝う両親の大変さや、収穫の喜びも体験して育ちました。

また家にガスオーブンがあり、母がよくパン作り等をしていました。それを見ていた影響もあり、小学校に入るとぶきっちょさんシリーズ(今は廃番となってしまった初心者向けのレシピを掲載した料理本)にはまり、家で料理をするようになりました。失敗もよくしましたね。砂糖と塩を間違えて作ってしまったり、シュークリームのシューが膨らまないということもありました(笑)
料理の手伝いをするようになり、食べることだけでなく作ることも好きになっていきました。


上島さん中学に入ると給食の時間、人参嫌いな親友が私のお皿に人参をのせてきたんです。それを食べながら「人参美味しいのに・・・」「料理の仕方を変えたら食べられるのかな?」なんて考えるようになりました。
その頃から栄養士という仕事に興味が出てきて「なるにはブックス」で栄養士について読んだ記憶があります。
しかし、まだまだ他になりたいものがたくさんあり、漠然としていました。

本格的に栄養士になりたいと思ったのは高校生の頃かと思います。陸上部のマネージャーになり、合宿の時に食事づくりを任されたのですが、その時の献立を考える際に「栄養」について学びたいと思ったのです。
大会前にはウェイトコントロールをする選手もいました。それから練習から戻った時の選手の圧倒的な食べ方に衝撃(感動)を受けました。
食事でこんなに人に喜んでもらえるなんて。。。マネージャーを経験したことで、「将来“食”で、人の役に立てる仕事がしたい」と思いました。


上島さん高校卒業後、関東の短大に進学しました。都会で生きていけないとは思っていたのですが、2年間だけは外に出たかったんです。田舎の良さが再確認できましたね。

当時は管理栄養士養成施設で4年学ぶと国家試験の科目が一部免除されました。
栄養士養成施設の場合は2年学ぶと実務経験2年以上で国家試験が受けられるという制度でした。(卒業の時点で栄養士免許は取得できる。)私は家庭の事情もあり、2年の修業後実務経験を経る道を選びました。

短大での学びを終え、地元での就職を探した当時、市町村の栄養士の枠が少なかったため空きがなく、求人がありませんでした。
実務を積みたいと思っても活躍することができませんでした。

調理中そこで、地元の食品会社に就職することにしました。食品会社の研究職も実務経験になります。
3年間品質管理や、微生物検査、栄養成分分析、商品開発等に携わりました。研究は地道にコツコツやるので、検査室(個室)で会話できない時間が続きます。社交的な人には苦痛かもしれません(笑)やりがいはありましたが、栄養士としてではなかったので私はジレンマを感じていました。

食品会社は結婚退職し、ゆっくり主婦でもと思った所へ栄養士の求人がありデイサービスでパートとして働くことになりました。そこでは高齢者の食事を考える仕事をしました。

その後国家試験を受け、合格した年に役場で管理栄養士の募集が出たので、村の管理栄養士となることができました。

上島さんのワークライフ

お子さん
基本的にはカレンダー通りの勤務です。
「給食」がメインの仕事なので、異物混入、食材の発注に関することなど突然の対応を強いられることもあります。

子どもが3人いるので、休みの日は子どもの習いごとの送り迎えをしたり、ショッピングをしたりしています。
料理だけでなく、裁縫も好きなので時間が取れれば何かを作っています。

家でももちろん料理をします。仕事が忙しいので、なかなかゆっくり台所に立つ時間は無いのですが、特技がスピードメニューなので、栄養バランスや彩りを考えた食事をぱぱっと作ります!
子どもたちも料理に興味をもってくれているので、野菜の下ごしらえや、仕上げを手伝ってくれたりします。とても助かります。

オムライス何でもバランスが大切で、偏った考えはもちたくないので外食もします。話題にもついていかないとですし、お付き合いも大切にしたいですからね(笑)日頃の食生活がしっかりしていれば、たまには嗜好品もOKという考え方です。

職場では産休、育休も取らせていただきました。仕事と家事の両立は大変ですが子育てしながら働ける場所があるのはありがたいなと感じています。

これから

給食室美味しい給食を作り続けたいです。子どもたちに食材や料理に対する興味や関心を高めてもらい、自立した正しい食生活ができるように食育に関わっていきたいですね。そのためにはまだまだ勉強したいです。食品、健康に関する情報は新しいものがどんどん出てきます。正確な知識、情報は常にもっていなければと感じています。

栄養士は「食べること」をとおして、周りにいる方々が心身共に健康で幸せでいることのお手伝いができる仕事だと思います。身体の健康だけではなく、食べることで満たされる「心」も大切にしていきたいです。

「食」は、なくては生きていけないもの。栄養素として見るだけでなく、「美味しくて健康」でありたい。そして「心」も健康でいられるような「食」について今後も関わっていきたいです。素敵な栄養士さんになれるよう頑張ります!

メッセージ

上島さん
興味のあることをやってみて、判断してみてください。
私はピアノを習っていたので、ピアノの先生になりたいと思っていましたが、手が小さかったこともあり、いつしか興味が栄養士へシフトしていきました。
いろいろ経験!チャレンジしてみて、比べてみると見えてくるかもしれません。
やると決めたら、とことんやってみてください。
また、目標となる、尊敬できる人がいると頑張れると思います。私もその時その時で変わってはいますが常に目指す人がいます。

人生に影響を与えた本

「ぶきっちょさんシリーズ」 著 森山サチ子(現在は廃番となっています)
この本を小学生の頃読んで、料理をしたことが、今の原点です。


管理栄養士・栄養士になるには「管理栄養士・栄養士になるには」 著 藤原眞昭(ぺりかん社)

興味を持ったらどうやったらなれるのかすぐに調べたくなって、図書館に向かいました。

所属:子育て支援課

子育て支援課電話 0265-98-8310
FAX 0265-73-9799

この仕事に就くには

管理栄養士の国家試験を取得し、各機関の採用試験を受ける。

国家試験を受けるまで(2016年9月現在の制度です)

フロー

取得後は学校給食施設、病院、老人福祉施設、児童福祉施設、社会福祉施設、等での活躍が期待される。
中には独立開業し、スタジオを開くケースも。
東日本大震災以降、大変需要が高まっている仕事である。