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1981年生まれ 愛知県出身 教員歴12年
信州大学大学院を卒業し長野県の教員として採用される。(2018年4月、南箕輪中学校から異動されました。)
教員を志す仲間の中で感じた違和感
中学3年生の時担任の先生が生徒思いの先生で、生徒の心に寄り添える教員になりたいと思うようになりました。高校時代もその思いは変わらず、大学は教育学部に進学しました。専門の教科を社会にした理由は小学生の時の社会の先生が面白かったからです。また、消去法で社会になったというのもあります。
しかし、いざ教育学部に入ってみると周りの人の熱さに圧倒されました。自分の中の思いと温度差を感じてしまい、いじめや、不登校も問題になってきている時期でしたので、そのような問題を抱えながら自分はやっていける?と自問自答する日々が続きました。
そして、教員採用試験ではなく公務員試験を受けたのですが、結果は不合格でした。
大学院に進み、また教員へ
将来をどうしようかと考えていた時大学の先生から「大学院に行かないか」という話をもらい、修士課程へ進むことにしました。
そこで教員への思いがまた強くなったんです。
小学校への研修が多く、純粋な子どもたちを見ていて、教員のおもしろさを知りました。
教員免許は小学校、中学社会、高校公民を取得しましたが、小学校の先生になろうと決意し教員採用試験を受けました。
地元愛知と長野に出願し、試験日が重なってしまったため長野を選びました。
理由は当時お付き合いしていた方(今の奥様)が長野県出身だったからです。愛知にはいつか帰るかもしれないけれど、愛知で教員になったらもう長野には来ないだろうと思ったんです。
長野県の教員試験に受かり、念願の小学校の教員になれると思っていたら中学校の教員として採用されました。(県の義務教育で採用される為、免許がある人は小中どちらにも採用される可能性があります。)
・授業・・・ほぼ毎日授業をします。授業の用意、準備のため教材研究も欠かせません。
・部活・・・朝練、放課後と指導します。自分が経験したことがある部活の顧問になることもあれば、全く未経験の部活の顧問になることもあります。
・事務作業・・・学級通信の作成、生活ノートの記入をします。
・会議・・・行事、学年、教科など様々な会議があります。
・校務分掌・・・学校を運営していく上で必要な仕事を分担して行います。会計や安全教育や健康教育などなど様々な係があります。
授業の中で「楽しい!」「分かった!」「できるようになった」という子どもの姿を見られるのが嬉しいです。
授業以外でも、なかなかまとまらなかったクラスが合唱コンクールの練習を通して、絆を深め成長していく姿をみると涙が出てきます。生徒の成長や笑顔、それを通して感動を味わうことができるのは教員の醍醐味ですね。
「人との出会い」 これもやりがいの一つです。教員は児童生徒だけではなく、保護者、地域の方、同僚の先生など多くの人と接することができます。多くの人との出会いが私の教育観の土台を形成し、私のかけがえのない宝物となっています。
休みの日でも野球部の練習があります。
奥さんは理解するというより、諦めています(笑)
部活も授業と同じで成長が見られるので嬉しいですね。
私の趣味は薪割りです。家に薪ストーブがあるので時間を見つけて一年中薪を割ります。先日は木を譲ってもらえるという話をいただき家と山を一日に7往復しました。
木が倒れているとお金に見えるほどです(笑)
他に、子どもと遊んだりして過ごしています。
一通り授業をすることはできるようになりましたが、これからは社会科の持つ魅力、本質的に「面白い」と感じてもらえる授業を考えていきたいです。
毎日同じ授業をやる人にはなりたくないですね。社会は変化していきます。常に幅広い視野を持ちながら授業も変えていきたいです。
今は中堅という立場になってきたので若手の指導も意識しています。
指導案の書き方、生徒指導、公務員としての法律等学ぶことがたくさんあります。いくつになっても日々勉強です。
いろんな体験をしてください。
そしていろんな人に出会ってください。
私は学生時代バックパッカ―で海外一人旅をしていました。
たくさんの出会いがあり、様々な経験をすることができました。
世界は広いです!
「深夜特急 1-6」 著 沢木耕太郎 (新潮文庫刊)
この本を読んで旅に出たくなってしまいました。人生も旅も出会いです。バックパッカ―の必読本です。
この仕事に就くには 大学や通信課程で教員免許を取得する。 |